行動し、継続するためのあれこれ

どうすれば行動できるかとか、それを継続できるかを考えます

『1日外出録ハンチョウ』に描かれる人間の滑稽さは、落語のようだ

今回は、『1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)』について書きたいと思います。

この作品の面白さを、言語化してみたくなりました。

以下ネタバレの内容を含みますので、読まれる際はご注意ください。

 

この作品の面白さは、よくある言葉でいえば「あるあるネタ」のような共感するところなのですが、個人的にはもっと深い落語で描かれる人間の滑稽さや悲哀みたいなものもあり奥が深いです。

 

第1話で、24時間しか外出できない大槻班長が最初に取った行動は、ニットの毛玉を取りです。(ニットの毛玉を取り終わったら、くつ下の毛玉を取り始めます)

マンガでニットの毛玉取ってるシーン見たのは、初めてな気がします。

限られた時間の中で、最も無駄な時間の使い方をする面白さが見事に表現されています。

翌日大槻は、立ち食いそば屋でサラリーマン風の恰好をして、周りのサラリーマンが慌ただしいく食事を済ますなか、座席に座ってビールを飲み優越感を楽しんでいました。

これって、幸せは相対的な部分があるということを表す、結構深い行動なんです。

しかもそのために限られた時間を費やしてまでしてスーツを用意するという、変な見栄をはるところとかもなんとも言えず可笑しいです。

 

SNSをやると、みんな不幸なことはわざわざ書き込まず、充実しているっぽいことだけアップすることが多いと思います。

そういう意味でSNSは充実した人生で溢れるので、SNSを見ると相対的に自分がみじめに感じやすくなるはずです。(自分が恵まれていると言っても、SNSでは自分より上の人はごまんといるので)

そういう意味では、SNSはやらない方がいいのかもしれません。

 

第3話の冒頭では、解放された大槻が時間を潰す方法はがっつり8時間の2度寝という、これまたぜいたくな時間の使い方です。

しかも寝ている間に子供に落ち葉を乗せられるいたずらをされて、起きた時に「?」となっている描写が2コマで表現されています。

この濃度の濃さもすごいです。

この話では大槻は昔なじみの中華料理店にいきますが、メニューには「オムレツライス」という謎の一品。

個人的にツボだったのは、それが印字されたエビチャーハンとカニチャーハンの間に手書きで書かれていること。

こういう店ってそういうメニューの書き方していそう!と思わず、共感してしまいました。

 

特別読み切りの「1日個室録ヌマカワ」では、1人でカラオケをする状態になったときに、ここぞとばかりに尺の長い洋楽や、難易度の高い曲、男性が歌いづらい曲(大塚愛の『さくらんぼ』)を熱唱するというシーンがあります。

最近は一人カラオケができる店も増えてきましたが、上記のような選曲をする人もいたのではないでしょうか。

この行為も、人間の見栄や羞恥といった部分が描きだされていて面白いです。

この話のオチが、1人だからこそ歌った曲が、結果その他大勢の人と「つながっていた(大塚愛の『さくらんぼ』の歌詞とリンク)というもので、落語のようなきれいなオチだなと思いました(落語は詳しくないですが)。

 

第8話では、大槻は小田切という男と、小料理屋に入ります。

田切はその店に入るべきかという不安を顔に出さないようにしていましたが、無意識に大槻の服の背中の部分をつまんでいました。

大の男が、表情には不安を出さないようにしながら、つい連れの男の服をつまむという絵もギャップがあって面白いです。

この話のオチは小田切や監視の男、店の女将から、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』という、大槻が全く知らない映画を勧められるというシーンです。

ここはまさに落語の「寿限無(じゅげむ)」と同じように、長いタイトルが周囲の人の会話で何度もフルネームで話されるという滑稽さがあります。

それで勧められて大槻がタブレットで見始めたら、上映時間も長かった(3時間50分)ために「圧倒的タイムオーバー!」になってしまい(このマンガにでてくる圧倒的の使い方も面白いです)、「長すぎだ!タイトルも尺も…!」と大槻が叫んで終わります。

 

こういう滑稽さは言語化すること自体も面白いですが、突き詰めると(行動経済学みたいな感じで)何かの役に立ちそうな気がします。