哀れなラットのように生きたいのか、他人から感謝されて生きたいのか
依存症に限らないのですが、自分を客観的に見れる(自分自身をゲームのキャラクターとして見れるような)視点があると良いです。
自分以外の他人は客観的に見れるのに、自分だけは客観的に見れないんですよね。
客観的に見ればダメなことが明確なのに、自分自身は主観的にしか見れないからそれに気づかないことがあります。
それでも客観的に見ようとする努力をすれば、すこしづつできるようになるはずです。
ポルノに限りませんが、依存症になっている自分を客観視できれば脱却につながると思います。
具体的には依存症になっている自分自身が、自分の求める理想像と異なるということを明確にイメージすることです。
客観的に見ると、依存症とはどのような状態でしょうか。
以下のサイトでは、脳に電極を埋め込まれたラットが、ドーパミンを出す箇所を刺激され食べることにも交尾をする機会にも興味を示さず、動けなくなるまでドーパミンを出すために、レバーを押し続けた話がでてきます。
依存症になるのは理由がある 週刊プレイボーイ連載(263) – 橘玲 公式BLOG
ラットを人間に、ドーパミンを出す箇所を刺激する電極をポルノに、レバーをパソコンのマウスに置き換えれば、依存症というのはこのラットと同じ状態です。
脳の快楽物質を刺激する依存対象を他人から周到に用意され、自分の意志と関係なくクリックしてしまう。
自分の人生が、こんな哀れなラットと同じ状態にされてしまっているのは耐えられないと、そう思うことです。
ラットは自らの意志に関係なく電極を頭に刺されましたが、僕たちはその電極を自ら頭に刺すのか放り投げるのかを選ぶことができます。
目先の快楽を取るのか、哀れなラットのようになるのかは自己責任なわけです。
もう一つの対策は、人のために何かをするということです。
人のために何かをすることと、ポルノ依存症対策と何の関係もない対策と思われるかもしれません。
ここで、ジョハン・ハリ氏の依存症に関する説をご紹介します。
ジョハン・ハリ: 「依存症」―間違いだらけの常識 | TED Talk Subtitles and Transcript | TED
ざっくりまとめると、以下のような内容です。
病院で手術するときに使う麻酔はヘロインだが、患者はヘロイン中毒にはならない。
依存症の原因となるものがあるからといって、依存症になるわけではない。
ベトナム戦争のときアメリカ兵の20%がヘロインを大量使用していたが、戦争後は95%がヘロインをやめた。
ヘロインがあるから依存症になるのではなく、家族など大切な人と心を通じ合わせることができなくなることが、依存症の原因になる
依存症になるのは、寂しいからなんですね。
人とのつながりを失った人間が依存症になるのであれば、人とのつながりを構築することが依存症の対策になります。
考えてみると、依存症と人とのつながりって真反対に位置しているんです。
ポルノでもゲームでもギャンブルでもアルコールでも依存症になっているとき、本人だけは快楽を得ますが、他人とのつながりは薄れていくか破壊されていくだけです。
人とのつながりを構築するなら依存症の反対、つまり自分でなく他人を喜ばせること、他人の役に立つことが有効です。
自分が何かをすることで、他人が喜んでくれたら嬉しいですよね。
ポルノやギャンブルで快楽を得ず、他人に喜んでもらうことで嬉しくなるようにすればいいのです。
他人の役に立つと言われても、具体的に何をすればいいか分からない人もいるかもしれません。
でもどんな人でも、何か自分にはできるけど他人にはできないことがあると思います。
ポルノやギャンブルと違って、気楽に達成できることでもないです。
誰かのために何かできるようになるには、努力も必要です。
そんなときは哀れなラットのような人生を送りたいのか、他者から感謝される人生を送りたいのかを何回も自問自答してみてください。