一時的な幸福や不幸には慣れてしまうので、日常の環境に対する工夫が必要
タトゥを入れてみました | 水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba
このブログで水野氏は、いつか人は死ぬんだということをいつも思い出せるようタトゥを入れたものの、それが日常になってしまったというエピソードを明かされていました。
これを読んで思いだしたのは、人は幸福も不幸もすぐに慣れてしまうという以下の話です。
恋人が死ぬより長時間通勤の方が不幸? 週刊プレイボーイ連載(43) – 橘玲 公式BLOG
水野氏の例でいえば、生きていた友人がある日無くなったことは、大きな出来事ですが一時的です。
一時的には大きくショックを受けても友人が死んだ日々を繰り返すうちに、それが普通になってしまいます。
タトゥも入れた直後は変化が新鮮に感じますが、いずれは「でっかいホクロ」に見えて邪魔に感じてしまったわけですね。
でも、これは悪いことだとは言えません。
何か大きなショックを受けた辛い感情をずっとひきづってしまうと、それはそれで大変です。
一方で、「自分はいつか死ぬんだ。だから毎日を精一杯生きないとダメだ」という思いも薄れてしまいます。
橘氏のブログには、
死別のような一度かぎりの出来事よりも、持続する苦痛のほうが幸福度を引き下げることがわかっています
とあります。
身の回りの親しい人が日常的に死ぬことはないので、死の意識が薄れてしまうんですね。
一方で通勤電車は毎日発生する苦痛なので、恋人の死よりも不幸に感じると。
このことから逆に幸福になるには、そのための何かを毎日すればいいのではないでしょうか。
だから私は、毎日ブログ更新をしようとしているのかもしれません。
アドラー心理学では、「他者貢献感」が幸福のために必要とありました。
「他者貢献感」とは、自分が他者に貢献できていると感じれれば良いというものです。
自分なりに有益と思われることを、どんな些細なことでもいいから発信しようと。
まあ単なる日記でも、読む人からすると価値がある場合があると思うので、最悪ただの日記でもよいから続けようと思います。
不幸から脱却するには、毎日の苦痛を減らすと良いということで、やはり通勤が苦痛な方は会社の近くに引っ越して歩いて行けるようにすればよいです。
問題は、仕事の方です。
仕事はそれこそ1日の大半を費やすことになるので、これが苦痛だと人生の大半が苦痛ということになってしまいます。
しかも、おそらく死ぬまで働くことが必要になる時代になるはずです。
そこで今の仕事が嫌だとして、どこが嫌なのかは自分に問いかける必要があります。
成長できないから嫌なのか、上司が嫌なのか、同僚が嫌なのか。
他人や会社は変えられないから、自分が変わってその嫌な要素を取り除くしかないです。
自分により合った、自分の能力が最も活かせる場所へ動けるようにしないといけません。
人間必ず老いるし、いつ怪我や病気に見舞われるか分かりません。
そう思いながら仮に怪我や病気になったとしても、良くも悪くもその状況に慣れてしまいます。
だからそういう自分で自分を脅迫するようなやり方は、一時的には効果があるのかもしれませんが、長期的には持たないのだろうと思います。
だとすると、残された道は楽しいことを見つけることです。
でも本当に人間難しくて、家でダラダラするより面倒でも準備して出かけたほうが有益だとわかっていても、ダラダラしてしまう生き物です。
つまり努力して本当に楽しいことにたどり着くより、目先の快楽に溺れやすいということです。(私だけ?)
ある程度は、自分が理想的に動けるような環境づくりが必要かもしれません。
外食の予約を取ってしまうとか、イベントに参加するようにするなどです。
同じ環境だと同じ行為の繰り返しになってしまいますので、毎日ダラダラしてしまうのであれば、何かを変える必要があります。
例えば、行動に結びつかないものは捨てるということも必要だと思います。
私はTwitterでニュースのアカウントとかフォローしていましたが、そこで流される内容を見て具体的なアウトプットをできていなかったので、フォローしなくなりました。
自分が本当にやりたいことができるように、自分で環境を整える必要があります。