依存をやめるのは、あなたが本当の笑顔を取り戻し充実した人生を過ごすため
今回も、『マンガで分かる心療内科 依存症編(酒・タバコ・薬物) (ヤングキングコミックス)』より、印象に残った箇所をご紹介します。
依存行為中でなければ、周囲の人が依存症の人に対して注意してもよいです。
ただし、注意はシンプルかつ具体的にする必要があります。
例えば
「どうして家の中でタバコを吸うの?私たちの健康なんてどうでもいいの?もっと父親らしくしっかりしてよ」みたいなのはNGです。
質問形式で言いたいことをいうと、問い詰める感じになってしまいますね。
また、「しっかりして」というのが何を要望しているのかも伝わりません。
良い例は、
「家の中でタバコは吸わないでくれると嬉しいの」
というように伝えることです。
シンプルかつ具体的に要望を伝えていますし、「アイメッセージ」になっています。
「アイメッセージ」とは、相手がこうしてくれると私はどう感じるかを伝える伝え方です。
人を動かしたいなら、「アイメッセージ」を使いこなせ | リクナビNEXTジャーナル
「家の中でタバコは吸わないで」
と、
「家の中でタバコは吸わないでくれると嬉しいの」
とでは、後者の方が聞いてもらいやすいです。
前者は命令口調になってしまいますが、後者は選択の余地が残されています。
人は、自分がコントロールしていられる状態を好みます。
命令されてしぶしぶやったことは、長くは続きません。
依存をやめたいのにやめられない人は、いきなり全部やめようとしているのかもしれません。
そうなるとハードルが上がってしまい、やめる決心がつかなくなってしまいます。
試しに1日だけやめてみるのがいいかもしれません。
なぜ、依存から抜けないといけないのか。
本書では、最後に以下のエピソードが紹介されていました。
あるところに酒やタバコに依存している父親がおり、彼はタバコや酒が切れるたびにそのストレスからイライラして家族にあたっていました。
そんなとき、幼い娘が父親に言いました。
「お父さん、お酒を飲んでいいよ。タバコを吸っていいよ」
父親は理由を尋ねました。
「だって、お父さんはタバコを吸ったりお酒を飲んだりしているときは、本当の優しいお父さんに戻ってくれるから」
娘にとっては依存行為によって精神状態が上がったときの父親が、「本当の優しいお父さん」だったのです。
タバコや酒が切れたときのストレスは、酒やタバコに依存しているからこそ起きるものです。
酒やタバコに依存していなければ(依存させられていなければ)、ずっと「本当の優しいお父さん」でいられました。
つまり、依存から抜けないといけない理由は、
- 依存症のあなたは、「本当のあなた」じゃないから
- 依存をやめるのは、あなたが本当のあなたに戻り一度しかない人生で何より充実した人生を過ごすため
です。
依存症は、脳の快楽物質を刺激されるものや行為から、いつの間にか抜け出せなくなっているものです。
あなたはそれを自分で選んで、主体的に楽しんで、自らの意志で続けることを選択していると思っているかもしれません。
しかし、それは他人から巧妙に選ばされ、脳の快楽物質を無理やり出させる状態を繰り返すしかない状態に追い込まれ、自らの意志ではやめられない状態にさせられているだけです。
そんなものはあなたの人生ではないはずです。
依存行為中の楽しさを手放せないという人もいるかもしれません。
しかし、それは本当に楽しいのでしょうか。
依存行為中の顔は、本当にいきいきとした楽しい顔をしているでしょうか。
続けていれば、今後そういう顔ができそうでしょうか。
どこかで、「このままじゃいけないんじゃないか」と感じていないでしょうか。
本当に楽しい顔は、依存症のように自分の脳の快楽物質を出しているときでなく、誰かのために何かをしたときにしているはずです。
依存症の人に対して、周囲の人はアドラー心理学の「課題の分離」をしよう
今回も、『マンガで分かる心療内科 依存症編(酒・タバコ・薬物) (ヤングキングコミックス)』から、印象的な部分をピックアップしていきます。
依存症の人の、「意志が弱いから、依存から脱却できない」という意見についてはどうでしょうか。
依存している人は、お金や時間をなんとか工面してでも続けようとします。
つまり依存をなんとしてでも続けるという、強い意志を持っているわけです。
意志が弱いというのは言い訳で、ただやめたくないと思っているだけです。
「もはや、習慣になってしまってやめられない」という意見についてはどうでしょうか。
例えば家に帰るという習慣については、引っ越し後にずっと前の住所に通い続けることはありません。
習慣だからやめられないという、言い訳を欲しているだけです。
必要だと分かっていることであれば、習慣も変えられます。
依存しているものの、量を減らせればいいのでしょうか。
これは良くないというか、続かないです。
量を減らすということは依存の快楽を受けたうえで、我慢するという返ってつらい状態に陥ります。
よく禁煙を破ってしまうきっかけが、隣の人が吸っているのを見て我慢できなくなったという話を聞きます。
依存の対象を目にしてしまうと、それを断り続ける意志力が必要になってしまい、失敗してしまいます。
「酒を飲まないと眠れない」という場合はどうでしょうか。
そもそも眠ろうとするのは、睡眠を確保するためだと思います。
以下の、睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン - 日本睡眠学会によると
http://www.jssr.jp/data/pdf/suiminyaku-guideline.pdf
眠るための飲酒は逆効果です。
アルコールを飲むと⼀時的に寝つきが良くなりますが、徐々に効果は弱まり、夜中に⽬が覚めやすくなります。
深い眠りも減ってしまいます。
とあります。
飲酒の理由にはなりません。
家族がアルコール依存症の場合、周囲の人が気を付けることとして「世話を焼くこと」をしてはいけないそうです。
例えば酔いつぶれて玄関で寝てしまった人の世話をしてしまうと、本人が「酒に酔いつぶれてしまっても大丈夫だから、また酒を飲もう」と思ってしまい、逆効果になってしまいます。
以下の本では著者の人がアルコール依存の父の世話をずっとしていましたが、依存症がよくなることは無かったですね。
アルコール依存症と気づかなかった、あの頃のこと。|酔うと化け物になる父がつらい|菊池真理子|cakes(ケイクス)
よほど重大な事態になっていない限りは、「依存行動の結果(例えば玄関で寝てしまうなど)」を家族が解決せず、それによって困っているということを伝えるのが一番ということです。
このあたりの考え方は、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方と同じであることが興味深いです。
また、「依存行為をしているときに叱責、説教する」こともいけないそうです。
依存行為中になにを言っても無駄なので、距離を取ることが必要です。
また、タバコにある病気のリスクが高まるという警告表示ですが、効果がないどころか返って逆効果という研究もあります。
『買い物する脳―驚くべきニューロマーケティングの世界』によると、タバコの警告を読むと、脳の「欲望のスポット」と呼ばれる側坐核という領域が刺激され、喫煙したくなるそうです。警告を読んだ本人は、理性ではもちろん警告の内容を理解していますが、無意識(本能)の方が強いわけです。
さらに周囲の人は、依存症の人に対して責任を感じる必要はないということです。
周囲の人が責任を感じると、依存症の人は周囲の人に責任転嫁してさらに依存がひどくなります。
周囲の人はお酒を飲んでほしいと頼んだり、タバコを吸ってほしいと命令したのでない限り、それは本人が勝手にやっていることで、責任を感じる必要はありません。
これも、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方と同じですね。
依存症とは、他人によって自分の人生をハードモードにさせられること
今回は、『マンガで分かる心療内科 依存症編(酒・タバコ・薬物) (ヤングキングコミックス)』から、印象に残ったところをお話しします。
まず依存症の基準とはなにかというと
あなたの子供が同じことをしたら応援するかどうか
と定義しています。
もし、それはやめてほしいと感じたなら、その行為は依存症です。
たしかにこの基準だと、健康に害のある習慣や、お金や時間を膨大に消費するような状態は避けたいと考えますね。
これって依存症に限らず、自分を客観的にとらえて判断するのにもいい基準です。
また、
「やりたい」と決心した瞬間があったかも大切
ということです。
この基準も素晴らしいと思います。
依存症は、基本的には他人に押しつけられるものです。
それが巧妙な仕組みによって、いつの間にか手放せなくなっています。
なぜかそんなことをしてくるかというと、押しつけた人が儲かるからです。
酒でもタバコでもギャンブルでも、依存症にさせれば健康を害してでも破産に追いこまれようともお金を使わせることができます。
こんな楽な商売はないです。
そんなこと言ったら、全ての商売がそうじゃないかと思われるかもしれません。
その違いは、最初にお話しした「自分の子供がそれを消費したらどう思うか」という基準で判断すればよいでしょう。
依存症の人は、「やめようと思えばいつでもやめられるが、自分の意志でやめないのだ」というそうです。
その場合は、「自分の意志でやめられるなら、今日から1週間やめてみてください」と提案します。
それができないなら依存症です。
依存症をやめるために最も大事なのは、「やめたい」「変わりたい」「前に進みたい」と考え、そのために依存症を克服したいと思うことです。
問題意識がない人は、一生そのままです。
ここは奥が深い話で、結局自分がどうありたいか、どう生きたいかみたいなレベルの話になってきます。
目指した姿になれるかどうかはわかりませんが、目指さないものには絶対になれません。
タバコを1日1本しが吸わないから依存じゃないとは言えないように、
依存症はコントロールできないものであり、「ちょっとだから」大丈夫は間違い
だそうです。
私はよくネットサーフィンをしてしまいますが、これも依存ということですね。
ネットは敷居の低さが手ごわいです。
ちょっと脱線して、何か関係ないサイトを見に行ってしまうということは良くあります。
ポルノ依存から脱却した方法を応用できないか、考えてみます。
依存症の人は、その対象が水や空気と同じように必須のもので、それがないとストレス解消できなくなることが耐えられないため、手放せないとして考えています。
でも依存症でない人は、ストレス解消できず苦しんでいるかというとそんなことはないわけです。
結局、依存症の人は酒やタバコが切れたときのストレスを、酒やタバコで解消しているだけということです。
ドラクエというゲームに例えると、体力とマジックポイント(精神力)というパラメータがあります。
依存症でない人は、この2つパラメータさえ満たせば動けるわけです。
でも依存症の人はこの2つのパラメータに加えて、定期的に枯渇する酒ポイントやタバコポイントを満たさないといけないわけです。
依存症でない人に比べて、明らかに難易度が上がっていますよね。
こんな依存症から抜け出すための方法は、3つあります。
一つ目は、精神論。
これは意識(理性)vs無意識(本能)の戦いになってしまい、長期的には失敗します。
2つ目は、物理的隔離。
例えば、私はゲーム依存症を脱却するために、ゲーム機本体を手放しました。
もちろんまた購入してしまうことも可能ですが、一度手放したものを数万円払ってまた購入するというのは、人間の「損をしたくない」という欲求も手伝って、いい感じに
抜け出せます。
酒やタバコなども、やめたいと思ったときに思い切って捨ててしまうと良いかもしれません。
3つ目は、真実を知る。
依存でストレスは減るどころか、かえって増えてしまい、人生というゲームがハードモードになってしまいます。
しかも、それは他人の金もうけのために巧妙に仕組まれた罠にはめられた状態です。
自分の人生を自分で選んで幸せになるために、依存症から脱却することは極めて有効な手段なのです。
一時的な幸福や不幸には慣れてしまうので、日常の環境に対する工夫が必要
タトゥを入れてみました | 水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba
このブログで水野氏は、いつか人は死ぬんだということをいつも思い出せるようタトゥを入れたものの、それが日常になってしまったというエピソードを明かされていました。
これを読んで思いだしたのは、人は幸福も不幸もすぐに慣れてしまうという以下の話です。
恋人が死ぬより長時間通勤の方が不幸? 週刊プレイボーイ連載(43) – 橘玲 公式BLOG
水野氏の例でいえば、生きていた友人がある日無くなったことは、大きな出来事ですが一時的です。
一時的には大きくショックを受けても友人が死んだ日々を繰り返すうちに、それが普通になってしまいます。
タトゥも入れた直後は変化が新鮮に感じますが、いずれは「でっかいホクロ」に見えて邪魔に感じてしまったわけですね。
でも、これは悪いことだとは言えません。
何か大きなショックを受けた辛い感情をずっとひきづってしまうと、それはそれで大変です。
一方で、「自分はいつか死ぬんだ。だから毎日を精一杯生きないとダメだ」という思いも薄れてしまいます。
橘氏のブログには、
死別のような一度かぎりの出来事よりも、持続する苦痛のほうが幸福度を引き下げることがわかっています
とあります。
身の回りの親しい人が日常的に死ぬことはないので、死の意識が薄れてしまうんですね。
一方で通勤電車は毎日発生する苦痛なので、恋人の死よりも不幸に感じると。
このことから逆に幸福になるには、そのための何かを毎日すればいいのではないでしょうか。
だから私は、毎日ブログ更新をしようとしているのかもしれません。
アドラー心理学では、「他者貢献感」が幸福のために必要とありました。
「他者貢献感」とは、自分が他者に貢献できていると感じれれば良いというものです。
自分なりに有益と思われることを、どんな些細なことでもいいから発信しようと。
まあ単なる日記でも、読む人からすると価値がある場合があると思うので、最悪ただの日記でもよいから続けようと思います。
不幸から脱却するには、毎日の苦痛を減らすと良いということで、やはり通勤が苦痛な方は会社の近くに引っ越して歩いて行けるようにすればよいです。
問題は、仕事の方です。
仕事はそれこそ1日の大半を費やすことになるので、これが苦痛だと人生の大半が苦痛ということになってしまいます。
しかも、おそらく死ぬまで働くことが必要になる時代になるはずです。
そこで今の仕事が嫌だとして、どこが嫌なのかは自分に問いかける必要があります。
成長できないから嫌なのか、上司が嫌なのか、同僚が嫌なのか。
他人や会社は変えられないから、自分が変わってその嫌な要素を取り除くしかないです。
自分により合った、自分の能力が最も活かせる場所へ動けるようにしないといけません。
人間必ず老いるし、いつ怪我や病気に見舞われるか分かりません。
そう思いながら仮に怪我や病気になったとしても、良くも悪くもその状況に慣れてしまいます。
だからそういう自分で自分を脅迫するようなやり方は、一時的には効果があるのかもしれませんが、長期的には持たないのだろうと思います。
だとすると、残された道は楽しいことを見つけることです。
でも本当に人間難しくて、家でダラダラするより面倒でも準備して出かけたほうが有益だとわかっていても、ダラダラしてしまう生き物です。
つまり努力して本当に楽しいことにたどり着くより、目先の快楽に溺れやすいということです。(私だけ?)
ある程度は、自分が理想的に動けるような環境づくりが必要かもしれません。
外食の予約を取ってしまうとか、イベントに参加するようにするなどです。
同じ環境だと同じ行為の繰り返しになってしまいますので、毎日ダラダラしてしまうのであれば、何かを変える必要があります。
例えば、行動に結びつかないものは捨てるということも必要だと思います。
私はTwitterでニュースのアカウントとかフォローしていましたが、そこで流される内容を見て具体的なアウトプットをできていなかったので、フォローしなくなりました。
自分が本当にやりたいことができるように、自分で環境を整える必要があります。
自分の信じる「他者貢献」をする
今回は、『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』から印象に残った箇所について書きます。
私が思う成功している人は、大体この本にあるアドラー心理学の考えを持っていると感じます。
核心をついているんですよね。
アドラー心理学では、向上したいと願うことを「優越性の追求」と呼びます。
一方で理想に到達できていない自分を劣っているように感じることを、劣等感と言います。
劣等感をバネに頑張れれば良いのですが、劣等感をできない言い訳に使い始めると良くない。
それは劣っているからできないのではなく、やりたくないからその原因を劣っていることのせいにしているわけです。
なにを原因にしたところで、前には進めなくなるというのは避けないといけないのですが、劣等感は絶好の言い訳になってしまいます。
私もよく自分は頭が良くないからとか、顔が良くないからと言い訳しそうになりますが、これはダメです。
できない言い訳が何であろうが、前に進めないということには変わりありません。
どうやったら前に進めるかだけを、考えないといけません。
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるという話も出てきます。
自分の敵は自分であり、他人ではないということです。
他人と比較したら、自分より優れている人も劣っている人もいるでしょうが、その人と比較して悔しがったり喜んだりしても、きりがないし意味がありません。
他者と競争してしまうと他者の成功は自分の敗北となってしまい、祝福することができなくなります。
そもそも成功する他者は自分が競争しようが嫉妬しようが成功するわけで、そんな行為は意味がないです。
また、アドラー心理学は承認欲求を否定します。
これは、他人の承認を求めてしまうと他人の価値観の中で生きることになってしまうから、そうではなく自分の価値観を生きろということです。
自分は他人の欲求を満たすために生きているのではないし、他人も自分の欲求を満たすために生きているわけではないのです。
これに関連して、課題の分離という考え方もあります。
自分の課題は相手に踏み込ませてはいけないし、相手の課題に自分が踏み込んでもいけない。
自分を変えることができるのは、自分だけ。
他人を変えることができるのは、他人だけ。
そして自分にできることは、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけ。
本当に、自分の人生を生きるための哲学だなと感じます。
この生き方は八方美人を捨てて自由に生きる、つまり他者から嫌われるコストを支払う勇気を持つということです。
自分のことを好きにならない人がいても、それはその人の課題であり自分の課題ではない。
他人がどう思おうとそれはその人の自由であり、自分がどうこうできることではないです。
あなたは世界の中心ではない、という考えも大切です。
自分が怪我や病気になったら大変だし、自分が死んだら世界が終わったも同然なのだから、世界の中心であると錯覚してしまうのも仕方がないです。
でも実際は自分が生まれる前から世界は存在していたし、自分が死んだあとも世界は存在し続けます。
そういう世界をアドラー心理学では、共同体と呼んでいます。
そして、自分は共同体の中心でなく一部です。
共同体に属するために必要なことが、他者貢献です。
他者に貢献できたときにこそ、自分には価値があると思えます。
自分の貢献が、他人にとって本当に貢献になったかを知ることはできません。
だから他人からの評価ではなく、自らの主観によって「貢献感」をもつことが必要になります。
そして人生は連続する刹那であり、ダンスするように生きるべきだと。
それは「他者に貢献するのだ」ということを常に念頭におき、過去にとらわれず未来を恐れず、いまこの瞬間を真剣かつ丁寧に生きろという意味です。
自分の脳を、すぐに行動できるように仕向ける方法
今回は、『すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な”方法』より、印象に残った内容をご紹介します。
- 睡眠と起床
寝る間も惜しんで何かしようとしても、意志力が下がってしまっては結局パフォーマンスは落ちてしまいます。
睡眠をきちんと取れている状態で実行できないことは、睡眠不足の状態ではまずできませんのでしっかり寝ましょう。
もっとも頭が冴えるのは起床から4時間後なので、アウトプットや決断は寝る前ではなく起床後にやりましょう。 - 気が散るものは見えないところへしまう
ダラダラとテレビを見てしまうとしたら、その行為のスタートは「テレビのリモコンが目につくところにある」ということです。
目につくところにテレビのリモコンがあると、仮にテレビを見なかったとしても
テレビを見ないという決断を行うことになり、意志力の低下につながってしまいます。
『人生がときめく片づけの魔法』で、ときめかないものを捨てるという判断基準がありましたが、人生にとって必要でないものを視界に入れないということは大切なのです。 - 次の作業にちょっとだけ手をつける
脳は、完了していない事柄に対して注意するようにできています。
必要な作業をすべてやろうとしてしまうとハードルが高くなり、かえって何もできなくなる恐れがあります。
次の作業にちょっとだけ手をつけると、次の作業を始めるハードルが下がりますし、脳が自動的に次の作業に注意を向けてくれるので、継続しやすくなります。 - ガラッと変えようとせず、スモールステップで間違えようのない課題から着手
今の自分ではダメだという想いが強いほど、ガラッと変えたくなります。
そう願うのは理性(意識)ですが、これは長続きしないため本能(無意識)に負けてしまいます。
本能(無意識)が抵抗なく受け入れるように、ばからしいほど小さくて失敗できないような課題1つに絞りましょう。 - 優秀な人の近くにいる
人は、無意識に他人の動作を真似してしまいます。
いまいちな人とずっと同じところにいると、自分もその人のようになってしまいます。
自分がそうなりたいと思う人と、近くにいるように意識しましょう。 - 「ここまではできる」と到達点を具体的にする
脳は課題に取りかかっていない状態では、到達した状態をイメージできません。
そのため何もしていない状態で「やればできる」と自分に言い聞かせても、脳はどうすればよいのかを理解できません。
また脳はできると言われたことが実際にできていないと、できなかったことに対して罪悪感を感じます。
すると、課題のハードルが上がってしまい「次こそはきっとできるはず」という期待が空回りし、先延ばしする自分に罪悪感を感じたり、小さな一歩を踏み出せていても、「できた内に入らない」と感じるようになります。
どうすればよいかというと、「ここまではできる」と到達点を具体的にして、現実にできていないことを「できるはず」と脳に要求しないようにします。
そして今できていることに着目し、今の自分のレベルにあった確実にできる課題をこなします。 - 取り組む課題にレベルをつける
すぐやることができないときは、課題に難易度のレベルをつけます。
すぐできない課題は、今の自分にはレベルの高いものだということです。
自分にできるレベルにまで分解するか、ハードルを下げて適正な難易度の課題に取り組みましょう。 - 「自分の体がすぐに動く状態+すぐやる」
無理に「私はできる」と思っても、自分になじんでいない言葉はかえって気分を悪くします。
そこで、自分のモチベーションとなる言葉に「すぐやる」をくっつけます。
例)
「誰かに喜んでもらうため」ならすぐやる。
「お金を稼ぐため」ならすぐやる。
「異性にモテるため」ならすぐやる。 - 挑戦したいこと以外は普段どおりにする
何か挑戦したいことが明確なのであれば、それ以外の行動は普段通りにします。
挑戦するには、意識(理性)にエネルギーを供給する必要があります。
挑戦と関係ないことまで普段と変えてしまうと、そこにもエネルギーを浪費してしまいます。
大切なことに集中しましょう。
「好き」を仕事にするしかないが、そのときにビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で設計する必要がある
私が自分で行動を起こして継続を続けたいことは、自分の資本を増やすことです。
お金も増やしたいんですが、ここでいう資本はお金だけではないです。
ここで言う「自分の資本」については、いろんな人がいろんな言い方をしています。
堀江貴文氏は、信用を稼げとおっしゃっています。
現金は、信用を見えるようにしたものにすぎないと。
橘玲氏は、『幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』で、人的資本、金融資本、社会資本の3つについて語られていました。
人的資本は、稼ぐ力と言っていいと思います。
社会資本は、人と人とのつながりです。
金融資本は、現金や株などのものです。
個人的に優先してほしいものは、まず人的資本、次に金融資本です。
食べられないと、生きていけないので。
ちなみに本書では、マイルドヤンキーは社会資本だけで生きていく人だとされており、おもしろい視点だなと思います。
ちきりん氏は『多眼思考 ~モノゴトの見方を変える300の言葉! ~』で、大企業なんか行ってる場合じゃない、無思考に流されてみんなと同じことをして供給過多の世界に飛び込むなとおっしゃっていました。
私なりの解釈は、大企業だと業務も細分化されておりビジネスモデルの一気通貫した全体像が見えないので、市場で稼ぐ力が身につかないためという意味だと思います。
人的資本を増やすには、考えて人と違うことをしないといけない。
もちろん前提としては、それによって誰かが喜んでくれる何かを提供する必要があります。
言うは易しですが、試行錯誤するしかないです。
人と差別化するには人より多くの時間、労力、金を費やすことができること、つまり「好きなことにすべてをつぎ込む」しかないわけです。
成功の秘訣は、「好きなことにすべてをつぎ込む」こと。〜橘玲さんインタビュー【後編】 | FROGGY (フロッギー)
ただし、ここでいう好きなことは生産活動です。
例えば、ゲームをプレイするのが好きでずっとやっているというだけでは稼げません。
実況動画を配信するとか、攻略方法を広めるとか、誰かの役にたつものをアウトプットする必要があります。
好きな生産活動さえできれば良いかというと、そうでもないと思います。
アニメーターが薄給なのを聞いたことがありますが、これは供給過多だからでしょう。
好きを仕事にという話だと『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 (幻冬舎文庫)』にあった、バイク便ライダーの話が印象的です。
彼らは自分の好きなバイクを使って、配達した荷物の量に応じた歩合給を受け取る仕事をします。
好きを仕事にしているわけですが、一方で競争により労働環境は過酷になり、交通事故や廃棄ガスによって身体を害し、引退することになります。
いったいどこに問題があったかというと、「好き」をビジネスにする仕組みをバイク便会社に依存しているためです。
だから「好き」を仕事にするためには、ビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で設計する必要があります。
インターネットをはじめ、グーグルやアマゾンのサービスがインフラを提供してくれることで、ハードルはかなり下がりました。
そこで弱者の戦略にあったとおり、自分だけのニッチを探すことで生き延びる道を探す必要があります。
楽して儲かる道はないということです。
仮にあったとしても、その道には多くの人が参加してくるので、供給過多で競争の激しい環境になります。
日本の飲食店のレベルが高いのは、参入障壁が低いからです。
日本のタクシーサービスの品質が悪いことがあるのは、参入障壁が高くライドシェアサービスとの競争がないためです。
高い参入障壁を乗り越えた先のほうが、競争は少なくなるのでゆるくやっていけるわけです。
タクシー業界のように既得権の上であぐらをかいていると、既得権にしがみつくしかなくなるのであまり良くない状態と言えますが。
ビジネスモデル(収益化の仕組み)を設計するには、自分でスモールビジネスをしてみるしかないのだと思います。
ビジネスモデルは本屋で売っていても、それを信じて実行し続けるというところが、最初の障壁になっています。
【voicy文字起こし】第十九話 「商品およびビジネスモデルをどうやって作るか?」 | これからの「カネと女」の話をしよう。
なんにせよ、他人に喜んでもらえる価値を提供するか、自分が欲しくて市場にまだないサービスを作ってみるかを試す必要があります。
自分が欲しくて市場にまだないサービスは、他の人にも一定数の需要があるはずで、まさにニッチな市場に対するサービスなはずなので、それを探しつづけるしかないですね。