行動し、継続するためのあれこれ

どうすれば行動できるかとか、それを継続できるかを考えます

『残酷すぎる成功法則』の実践事例

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』という本があります。

ざっくりと内容をいうと成功という漠然としたものについて、エビデンス(根拠)も合わせて紹介している本です。

 

そこにはある種の法則があるという意味で、このタイトルになったと思います。

もともとはアメリカで発売された本なので、事例としてはアメリカの事例しか載っていないのですが、日本人で私が成功していると思う人も、やはりこの法則に当てはまっているなと感じます。

 

その法則の一つは、成功いている人は与える人(ギバー)だということです。

本書では、成功という尺度で見たときギバーは最下位と最上位にいるとしています。

最下位にいるのは、テイカー(奪う人)にいいように利用されてしまう場合です。

なお、テイカーは平均するとそこそこいい位置にいます。

ですが、頂点にいるのはギバーです。

まあ言われてみれば当たりまえで、人間、自分を利用しようとしたり搾取してこようとする人間に、深く関わろうとは思わないものです。

一方でいつも困ったときに助けてくれる人がいたら、その人が困ったとき無償でもいいから手助けしたいと思うはずです。

成功というのは複利で効いてくるはずなので、テイカーはどこかで頭打ちになってしまいます。みんないやいや付き合っているだけだから、人は離れていく。

バーはその逆で、複利で手助けしてくれる人が増え続けるので、大成功につながるわけです。

 

そもそも資本主義で交換される商品というのは、原則ギバーのものでないといけません。

例えば、ぼったくり店みたいなところはテイカーの考え方の商品ですが、これは初めてきた人が引っかかって短期間では儲かっても、そのうち悪評がたって誰もこなくなります。

一方で値段以上の価値を提供(ギバー)してくれる店なら、一度来たお客さんも繰り返し来るだろうし、新たに誰かを誘って来店してくれるはずです。

よく売り上げが好調な会社の経営者が、お客様の笑顔のために仕事をするといった話をするのもこれと同じで、ギバー精神と儲けるというのはコインの裏表ということなんでしょう。

 

堀江貴文氏は、

「Give and give!」おまけに「Give!」

が大切だと言っています。

ビジネスで大切な「Give!」をできない人はいない|人生が最短で上向く『闇金ウシジマくん』名シーン|堀江貴文|cakes(ケイクス)

堀江氏は別にこんなことを理屈で考えてそうしているわけではなく、直観的にこのことを理解しているのだと思いますが。

 

ちきりん氏が、稼ぐためには提供する側になれと言っているのも同じ理屈ですね。

払うべきか、稼ぐべきか - Chikirinの日記

 

最後に、本書にあったエビデンスの最強ルールからいくつかをピックアップします。

 

・まず協調する

最初にギブすると、相手が酷いテイカーでない限り、いい協調関係が作れます。

最初にテイクすると、こいつテイカーかと敬遠されてしまいます。

最初は信頼して協調することが大事です。

 

・無私無欲は聖人でなく愚人である。

成功という尺度で見たときに、最下位にいる方のギバーはこのタイプなんでしょう。

相手がひたすらテイクしてくるのに延々とギブしていたら、こちらのリソースがなくなってしまいます。

ちなみに対策として有効なのは報復だそうで、具体的にはそのテイカーに用心するよう周囲に話す(噂話)が有効だそうです。

 

・許す

自分も相手も完璧ではなく、自分を許すように、他人も許すことが大切だということです。

ここでも堀江氏は、地で成功法則を実践されています。

信頼していたビジネスパートナーに裏切られたら - ITmedia エンタープライズ

(中略)「人に裏切られないためには」と考えを巡らせましたが、「許すしかない」という結論に至りました。

 

成功者が実勢している成功法則は、ぜひとも取り入れたいものです。

ストレスは、人生を面白くするためのスパイス

今回は、『マンガで分かる心療内科 ストレスコントロール編 (ヤングキングコミックス)』より、印象に残った点をピックアップします。

 

この本の主張を一言でいうと、「ストレスはいいもの」ということです。

そもそもストレスが体に悪いという説は、ラットに対して生命を脅かすくらいの過酷な状況に追い込んだ試験の結果を、人間に強引に当てはまてしまったものが広がってしまったということです。

 

例えば定年退職や子育てが終わったあとに、うつになる人がいるそうです。

だから、ストレスは体に悪い、ない方がいいものとは言えず、ストレスは心を強くし人生を成功させるものと捉えることができます。

 

ストレスが体にいいものと考えれば、それを跳ね返そうと努力します。

ストレスが体に悪いものと考えると、それから逃げようと依存行為に走ってしまいます。

だから、例えば働いている会社がブラックだったとしたら、その分頑張って転職したり起業したりするエネルギーにすればいいのです。

 

注意が必要なのは、ストレスと実害は違うということです。

意図的にトラブルに巻き込まれたりして、怪我をしたり他人ともめたりして肉体的、精神的、社会的なダメージを受けるのは実害と言えます。

一方でストレスは心のダメージです。

ただ、無理して頑張ってうつになったりしたら、それは実害になってしまいます。

それは、ストレスの対処として頑張るということとは違うということに注意です。

 

ストレスと実害は分けて考える必要があります。

仕事で失敗してつらい、悲しいと思っていたとしたら、仕事で失敗による損害が実害で、つらい、悲しいと思うことがストレスです。

そして実害そのものに注目し、仕事で失敗した損害を次に出さないようにするにはどうしたらよいか?と考えます。

そこで、悲しい、つらいというストレスと実害とを区別していないと、気持ちの整理が大変になってしまいます。

 

ストレスが原因で勉強などに取り組めないときはどうでしょうか。

実は、これは勉強したくない原因をストレスに求めているだけです。

これも、アドラー心理学の目的論ででてきた話ですね。

 

ストレスに対して、それを前向きにとらえて課題をクリアしようとする人と、嫌なものととらえて逃げ続ける人なら、前者の方が魅力的になれます。

逆にストレスから逃げ続けたら、何もせず、なにも達成できず、ただ老いて人生が終わってしまうかもしれません。

 

なんらかのストレス状態になると、緊張してしまう人もいると思います。

そういうときは緊張しないようにするのではなく、興奮している、ワクワクしている、ゾクゾクしていると前向きにとらえます。

 

辛くて余裕がなくなったら、笑うといいです。

「笑う門には福来る」というのは科学的にも正しいそうで、体の状態に心も引きずられます。

気持ちが明るくなって笑えるようになるのを待つのではなく、ずっと笑いつづけていれば、気持ちが明るくなります。

姿勢もそうで、猫背で縮こまっていると気分まで暗くなりますが、背筋を伸ばしていると気分も明るくなります。

 

一切のストレスがなかったら、どうなるでしょう。

朝から晩までずっとゴロゴロしていて良い状態になったら、何かをしようというエネルギーまで無くなってしまいます。

それは決して幸せとは言えません。

 

言葉というのは大切で、否定的な言葉を繰り返し見るのと、肯定的な言葉を繰り返し見るのとでは、後者の方がやる気が高くなったそうです。

ダメだと思っていたら、ダメなままということです。

人は目指したもの以上のことはできないので、まずは目指したものが実現できるよう、できることをやっていくしかないです。

 

すべてが予定通り進む人生は一見楽なように見えて、ただ退屈なだけだったりします。

予定外のトラブルに見舞われても、それを乗り越えることができれば、それが幸福につながります。

 

自分の人生をマンガの主人公ととらえ、それを読んでいる読者が楽しめるよう、ピンチに立ち向かい、乗り越えることで読者が感動できるような人生を送りましょう。

1日外出録ハンチョウに学ぶ、期待値マネジメント

今回は『1日外出録ハンチョウ(4) (ヤンマガKCスペシャル)』より、印象に残ったポイントをご紹介します。

 

第26話では、期待値マネジメントの重要性がポイントになっています。

格安チェーン店の料理は大きな期待をせずに食べるので、大槻は値段の割に美味しかったといった満足感を得ることができていました。

期待値というハードルが低いから、容易に飛び越えられるわけです。

 

ところが大槻が雑誌で見つけた親子丼は、

  • 店名が「極味」
  • 開店時間は11時~14時
  • 無くなり次第終了
  • 値段は2200円

と、とんでもなくハードルを上げてきます。

しかも長い行列に並ぶ必要がある、親子丼の並盛か大盛しかないメニューと、さらにハードルが上がります。

しかも、メニューに書かれた品名が「ふわとろ親子丼」。

 ぐっ…!これのせいで…ふわとろじゃなかった時点で…即アウツ…!

 と、苦悩する大槻。

期待値を下げる最後の手段として、「ふわとろ」をつけずに注文します。

そんな苦悩を知らない店員は、

ふわとろ親子丼の並1つですね?

と、わざわざ形容詞をつけて注文を確認します。

そんなこんなで最大限に上がったハードルでしたが、でてきた親子丼は文字通りふわとろで、大槻の期待値をぎりぎり超えてきます。

 

しかし最後の最後の会計時に、「理外の」チャージ料500円が追加されたことが発覚し、ぎりぎり超えたと思っていたハードルに引っかかった大槻は転落してしまいます。

(予想外ではなく、理外なんですね。こういう言葉のチョイスも面白いです)

 

いや、期待値マネジメントは本当に大事です。

今回の話でいえば、最初からチャージ料の存在が明確であれば話は変わったかもしれませんが、後出しになったのがさらにまずかった。

 

実際のところ、そういう店って自分も行かないので分からないんですが、長続きするものなんですかね。

たぶん、味以外にも店の雰囲気とか、プラスのポイントはあるはずですが、長続きしないのではと思います。

 

普通のチェーン店で、800円くらいでそこそこのものが食べられる店が、結局は残るのではないでしょうか。

なぜなら、期待値が低いから。

 

例えば遅刻して、あと何分で着きますと相手に伝えるときは、多めに時間を伝えることが大切です。

あと15分で着きそうと言っていながら、30分かかると余計に印象が悪くなります。

あと1時間で着きそうと言って、30分でつけば期待値のハードルを楽に超えられます。

 

まあ、仕事なんかだとこういう期待値下げのための時間が織り込まれ過ぎて、現実よりもはるかに長い時間を見積もったりするんですけどね。

でも、これはやむを得ない部分があって、早く終わりすぎたより遅く終わり過ぎたほうが確実に文句を言われると分かっているからです。

要求している方が期待値が高いから、要求される方が下げようと頑張るわけです。

だから、それを変えたいのであれば、自分が相手にどのような期待値を持っているかを振り返る必要があります。

 

あとは例えば、テレビでさわやかなイメージのタレントが不倫とかすると、猛烈なバッシングにあいます。

一方で、過去に何度も犯罪を繰り返した人が、ちょっとボランティアとかするとすごく称賛されます。

両社を比較したら、どう考えても前者の方がマシなのに、そうなってしまいます。

まあ、そうだと分かっていても、期待値を下げるために自らイメージを悪化させる振る舞いをするのも難しいので、なかなか実践するのは大変ですが。

 

でも、世の中には愛されキャラみたいな人もいて、まああの人なら仕方ないかなみたいな人もいます。

何回も結婚と離婚を繰り返す人が、また離婚しても「あっそう」みたいになります。

人間、好きなように生きていくのが一番いいのかもしれません。

1日外出録ハンチョウの面白さは、圧倒的に共感できるメッセージにある

今回も、『1日外出録ハンチョウ(2) (ヤングマガジンコミックス)』から学んでいきたいと思います。

以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

第15話では、大槻の美味い店とそうでない店の見分け方が披露されます。

まず、盛り塩がある店はポイント高めとのこと。

盛り塩とは、以下のようなものです。

盛り塩 - Wikipedia

験を担ぐところが、店主のこだわりを感じさせるんでしょうか。

しかし、大槻の基準では盛り塩が埃をかぶっている場合は途端にグレーになるとのこと。

そういう縁起ものがあってもそれをまめに管理できていないところが、料理の質にも影響しているのではと考えているのかもしれません。

この本の原作の萩原天晴氏の、こういう共感できるポイントをピックアップできる視点がすごいです。

例えば人間でも、立派なスーツを着ていても、靴が汚れていたりすると、途端にイメージダウンになってしまいます。

そういうポイントの注目の仕方が、妙に納得できるんですよね。

 

そして大槻は、大事なのは食べログぐるなびの評価ではなく、自分の目で見たものと言います。

これは確かにその通りでネットの評価は意図的に操作される場合もあり、必ずしも正しく点数がつけられているとは限らない、ということはあり得ます。

また評価が正しくつけられたものであっても、評価した人と自分の価値観が同じとは限りません。

例えば、小さな子供を連れていって「居心地がいい」店と、デートに使える「居心地がいい」店は同じにはならないはずです。

そうは言ってもレビューは大体のばあいは参考になるので、全て鵜呑みにせず自分の価値判断基準も常に忘れないくらいのバランスがいいのかもしれません。

 

1日外出録ハンチョウ(3) (ヤングマガジンコミックス)』に収録されている第17話は、個人的にかなり好きな話です。

この話では大槻は、何が食べたいか決まっていないです。

大槻の中では、各国脳内大槻によるグルメ首脳会談が開催されます。

もう、この設定が1本取られたなと思います。

どの料理を食べたいかと迷う気持ちを、擬人化しているわけです。

善意の天使と、悪意の悪魔が具現化する話は昔からありますが、こういうもっと具体的な欲求を擬人化するという手法は、いろいろ応用がきいていいかもしれません。

そういえば、このマンガでは、睡眠欲が擬人化されていましたね。

漫画「寝れない夜に寝る方法」|かっぴー|note

性欲の擬人化するマンガは面白そうだけど、見たことがないのは、やはり表現が難しいからでしょうか。

 

閑話休題

安定感のあるイタリア料理や中華料理、ピンとくる和食、それ以外にもフランスやトルコなど各国の脳内大槻が喧々諤々と議論しますが、なかなか決まりません。

かわいそうなのがイギリスで、「フィッシュ&チップス」と叫びますが、他の脳内大槻に「イギリスは静かにしていろ…!」と言われる始末。

 

しかし、この冷遇されているイギリスの脳内大槻が、17話の影の主人公だと思っています。

確かにフィッシュ&チップスってなぜかそんなに惹かれないし、そもそも扱っている店があるのか?という印象があります。

この「フィッシュ&チップスって有名だけど、みんな一度も食べたことないよね?」という圧倒的に共感できるメッセージがこの話の大事な要素になっています。(個人的には)

 

 

迷う大槻に自分がどこの国の料理か分からない脳内の少年大槻から「ミッシュマッシュ」の提案がされます。

それは、以前大槻が読んだ『danchu』に掲載されていたものです。

ちなみにこの雑誌は『dancyu』という雑誌のパロディなんですね。

雑誌『dancyu』の公式サイト

元ネタが分かっていませんでしたが、なるほどこういう雑誌を大槻は愛読しているんですね。

 

アメリカ大槻の

何を食べるかわからん時は…何かわからんものを食べる…ということか…!

という分かったような分からないような、でも説得力のある台詞を受け大槻はミッシュマッシュに挑戦します。

ミッシュマッシュ 料理 - Google 検索

 

そして、無名だった脳内の大槻少年がブルガリア大槻に任命されます。

ここには、「ミッシュマッシュという(おそらくほとんどの人が初耳の)どこの国のものか分からない料理」をオチに持ってくる原作の萩原氏のセンスの良さが光っています。

きっと、多種多様な料理を食べられているんでしょうね。

1日外出録ハンチョウに学ぶ、自分と対話する方法

今回は、『1日外出録ハンチョウ(2) (ヤングマガジンコミックス)』より印象に残った箇所をピックアップします。

以下ネタバレがありますので、ご注意ください。

 

第9話でボードゲームカフェへ行く予定を立てていた大槻は、鼻と喉の間がムズムズする症状に気がつきます。

現実でも嫌な予感がする、この風邪の引き始めの何とも言えない症状を

これを押したら風邪を引く…そんなボタンがあるとして…今ずーっとその縁を…なで回されている感じ…!

いつ押されてもおかしくない状態…!

と表現します。

連れの沼川には「よくわかりませんが…」と言われていますが、めちゃくちゃ良くわかる表現です。

まだ全然元気なんだけど喉がイガイガして、体温とか図りたくなるあの感じなんでしょうね。

 

「よりによって…なぜ今日なのですか…!」と詰め寄る沼川に対し、

恐らく…冷えたんだろう…!身体が…!ベンチに放置されとる間に…!

1日外出の思わぬ落とし穴…!

「いや、普通の理由!」と、ツッコみたくなる普通の理由を大げさな言い回しで回答するところも面白いです。

 

デイリーマンションで自炊したつみれ鍋を食べ、水に入れたバケツに丸めた新聞紙を差し込む即席加湿器などで完全復活した大槻。

次にとった行動は、

まだ時間もあるし…ちとこの辺を散歩でも…

…と見せかけて…ベッドイン!

ククク…油断しとったろ今…ワシの身体に残った…病原菌ども…!

悪いがワシは…容赦せん…!

とさらに睡眠を取ります。

部屋で一人で姿も見えない声も聞こえない病原菌に対して、フェイントをかける面白さがありますね。

このあたりの自分との戦いみたいな描写が、個人的には一番好きです。

自分自身もこんな風に自分の無意識と対話したいものです。

ちなみにこの話で大槻が着ていた服には「ONE UOPN A TIME」の文字があり、ひとつ前の話ででてきた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を観たんだろうなと推測できたりします。

こういう遊び心もいいですね。

この話のオチは、

この日大槻…1回休んで…6進む…!

 と、ボードゲームでよくあるシチュエーションと風邪を引いてしっかり休養して全快した様子がかけられているわけです。

良くできたなぞかけです。

 

第14話では、大槻の中の「肉を食べたい」という欲求(「邪神」と表現されています)との戦いが描かれています。

この邪神、生半可な肉を食しただけでは収まらず、鳥、豚、牛それぞれを食べたいと暴れだします。

そこで大槻が向かったのは、ブラジル式BBQのシュラスコ

まあ、こんな感じの店でしょう。

バルバッコア・グリル 渋谷店(Barbacoa Grill Shibuya) (渋谷/シュラスコ) - Retty

ここで、大槻は牛・豚・鳥それぞれの様々な部位を食します。

邪神が面白いのは、その大げさな名前と要求の細かさのギャップですね。

カケロ…!バルサミコソース…! 

 という邪神の要求に応えて、大槻がソースをかけて食べると、

グッ…!ソース合ウ…!コッチモ…! 

 というリアクション。

この邪神のチマチマした感じが滑稽です。

 

大槻がサラダバーに向かうのを阻止し、大槻の欲求以上に肉を食べさせた邪神は満足し、

アトハ…アサイーヨーグルトデモ ライチ デモ 好キナモノヲ食ウガイイ…!

と、やっと大槻を解放します(邪神が詳細なデザートの品目まで挙げるところがまた面白い)。

 

しかしここで大槻は、欲望が容易に復活しないよう更に肉を食しようとします。

ハッ!貴様ソノグラス…イツノ間ニ…!

と邪神を驚かせた、大槻の秘密兵器は肉と相性のいい赤ワイン。

肉と酒の無限ループによって更なる肉を食した大槻は、邪神を破裂することに成功します。

つまり、人工的に飽きさせる作戦ですね。

 

現実問題として自分の欲求を飽きるほど満たすことによって、しばらくその欲がでにくくなるのかは分かりません(あまり効果は無い気がします)。

しかし自分の欲求に名前を付け、姿を見て対話し、その欲求と戦うというのは、ひょっとしたら効果のある方法なのかもしれません。

『1日外出録ハンチョウ』に描かれる人間の滑稽さは、落語のようだ

今回は、『1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)』について書きたいと思います。

この作品の面白さを、言語化してみたくなりました。

以下ネタバレの内容を含みますので、読まれる際はご注意ください。

 

この作品の面白さは、よくある言葉でいえば「あるあるネタ」のような共感するところなのですが、個人的にはもっと深い落語で描かれる人間の滑稽さや悲哀みたいなものもあり奥が深いです。

 

第1話で、24時間しか外出できない大槻班長が最初に取った行動は、ニットの毛玉を取りです。(ニットの毛玉を取り終わったら、くつ下の毛玉を取り始めます)

マンガでニットの毛玉取ってるシーン見たのは、初めてな気がします。

限られた時間の中で、最も無駄な時間の使い方をする面白さが見事に表現されています。

翌日大槻は、立ち食いそば屋でサラリーマン風の恰好をして、周りのサラリーマンが慌ただしいく食事を済ますなか、座席に座ってビールを飲み優越感を楽しんでいました。

これって、幸せは相対的な部分があるということを表す、結構深い行動なんです。

しかもそのために限られた時間を費やしてまでしてスーツを用意するという、変な見栄をはるところとかもなんとも言えず可笑しいです。

 

SNSをやると、みんな不幸なことはわざわざ書き込まず、充実しているっぽいことだけアップすることが多いと思います。

そういう意味でSNSは充実した人生で溢れるので、SNSを見ると相対的に自分がみじめに感じやすくなるはずです。(自分が恵まれていると言っても、SNSでは自分より上の人はごまんといるので)

そういう意味では、SNSはやらない方がいいのかもしれません。

 

第3話の冒頭では、解放された大槻が時間を潰す方法はがっつり8時間の2度寝という、これまたぜいたくな時間の使い方です。

しかも寝ている間に子供に落ち葉を乗せられるいたずらをされて、起きた時に「?」となっている描写が2コマで表現されています。

この濃度の濃さもすごいです。

この話では大槻は昔なじみの中華料理店にいきますが、メニューには「オムレツライス」という謎の一品。

個人的にツボだったのは、それが印字されたエビチャーハンとカニチャーハンの間に手書きで書かれていること。

こういう店ってそういうメニューの書き方していそう!と思わず、共感してしまいました。

 

特別読み切りの「1日個室録ヌマカワ」では、1人でカラオケをする状態になったときに、ここぞとばかりに尺の長い洋楽や、難易度の高い曲、男性が歌いづらい曲(大塚愛の『さくらんぼ』)を熱唱するというシーンがあります。

最近は一人カラオケができる店も増えてきましたが、上記のような選曲をする人もいたのではないでしょうか。

この行為も、人間の見栄や羞恥といった部分が描きだされていて面白いです。

この話のオチが、1人だからこそ歌った曲が、結果その他大勢の人と「つながっていた(大塚愛の『さくらんぼ』の歌詞とリンク)というもので、落語のようなきれいなオチだなと思いました(落語は詳しくないですが)。

 

第8話では、大槻は小田切という男と、小料理屋に入ります。

田切はその店に入るべきかという不安を顔に出さないようにしていましたが、無意識に大槻の服の背中の部分をつまんでいました。

大の男が、表情には不安を出さないようにしながら、つい連れの男の服をつまむという絵もギャップがあって面白いです。

この話のオチは小田切や監視の男、店の女将から、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』という、大槻が全く知らない映画を勧められるというシーンです。

ここはまさに落語の「寿限無(じゅげむ)」と同じように、長いタイトルが周囲の人の会話で何度もフルネームで話されるという滑稽さがあります。

それで勧められて大槻がタブレットで見始めたら、上映時間も長かった(3時間50分)ために「圧倒的タイムオーバー!」になってしまい(このマンガにでてくる圧倒的の使い方も面白いです)、「長すぎだ!タイトルも尺も…!」と大槻が叫んで終わります。

 

こういう滑稽さは言語化すること自体も面白いですが、突き詰めると(行動経済学みたいな感じで)何かの役に立ちそうな気がします。

「人にとって最もつらい、孤独を解消したい」という信念に感動した話

今回はテレビでみた、分身ロボット「オリヒメ」の感想を中心に記載します。

孤独をなくしたい進め、分身ロボット|NNNドキュメント|日本テレビ

 

オリヒメが凄いと感じたのは、人と人のつながりを作る役割を果たしているところです。

病気などで外出できなくなってしまった人は、働くことも難しくなり孤独になってしまいます。

オリヒメは、寝たきりになってしまった人でも目線や体の一部の動きだけで会話を行ったり、リアクションを取ったり、景色を見たりできるので、操縦している人があたかもその場にいるように感じれます。

またオリヒメの周囲にいる人は、オリヒメを通して操縦者の人が話したり行動することで、オリヒメがその人の分身としてその場にいるように感じることができます。

番組では、ALS患者の人が利用されている例が紹介されていました。

通常では目線を動かすことしかできず会話すら難しい状態の方でしたが、オリヒメを使って目線で文字入力ができることで会話が可能になり、家族もご本人も大変喜んでおられました。

 

また番組では交通事故で20年ちかく入院をせざるを得なかった方が、オリヒメを使うことにより仕事ができるようになっていました。

 

開発者の吉藤オリィ氏は、さらに改良を加え、さらにオリヒメができることを増やせるように開発を進めていました。

 

この取り組みを見て、感動しました。

オリヒメは、人にとって最もつらい孤独を解消して人と繋がれるようになる役割を果たしていたからです。

それは、生きる喜びを与えるものと言ってもいいくらいのものだと思います。

 

この番組を見て思い出したのは、こちらの義肢を作られている方でした。

林伸太郎(2014年1月6日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

ここで登場される林氏は、

 義肢は“モノ”ではない、“その人の一部”になるものだ

 とおっしゃっており、まさにその人の人生を作りあげているのだなと感じました。

 

この人たちに共通するのは、素晴らしい技術力はもちろんのこと、その信念にあるだと思います。

 

こちらのサイトでは、なにかを成し遂げるのに最も大切なものは、お金や技術力や人脈でなく、why(なぜそれを行うのか)という信念だという話をされていました。

サイモン シネック: 優れたリーダーはどうやって行動を促すか | TED Talk Subtitles and Transcript | TED

why(信念)→how(どのように)→what(何をするか)の順番で行動することが、人々を感動させ、鼓舞するのだということです。

オリヒメの場合で言えば、whyは「動くことが困難な人の孤独を解消し、周囲の人とコミュニケーションできるようにしたい」「外出が難しい人が自由に外にでていろんな人と会い、会話できるようにしたい」という信念が最初にあるのだと思います。

howは、外出が難しい方が離れたところにいる人とその場にいる分身とコミュニケーションができるようにしたいということでしょう。

whatがオリヒメを開発するということになります。

 

自分が何か働いたり仕事をするときも、自分のwhyは一体なんなんだろうと考えないといけないなと感じました。

確固たる意志がないと、長続きしないです。

そういうものをはっきり持っている人はおそらく少数だとは思いますが、ぼんやりとしたものでも、自分はこうしたいというwhyがきっとあるはずです。

自分がこうしたいという思いだけではなくて、他人に対してこういう風に力になりたいとか喜んでほしいとか、おおげさかもしれませんが世の中をこういう風によくしていきたいとか、そういうものをずっと意識し続けることが必要なのだと感じました。